ついに今週の金曜日から豊橋祇園祭が始まります。
前編では、豊橋祇園祭の歴史などについて紹介しました。
◆前回の記事◆
後編では、現在の豊橋祇園祭の様子や、吉田神社の今の姿について迫っています。
前編に引き続きインタビューにご協力頂いたのは、吉田神社の禰宜(ねぎ)、水谷昌泰さんです。
吉田神社:禰宜 (ねぎ)
趣味:酒宴
目次
【 豊橋祇園祭1日目 *宵祭* 】
*圧巻の八ヶ町合同練込*
関屋町交差点にて行なわれる合同練込の様子
8ヶ町合同練込をご存知でしょうか?
15時45分頃になると関屋町の交差点には各町の台物が集結します。
この後、練込のクライマックスを迎えていきます。
爆竹の音と煙とともに氏子たちの「ワッショ!ワッショ!」と掛け声が響きわたります。
氏子としての宿命
炎を崇め 炎を敬い 炎を制する
そうです「手筒花火」ですね!
手筒花火とは、節を抜いた孟宗竹の中に火薬(黒色火薬)を詰めたものであり、噴出する花火を脇や腹に抱えて行う花火です。
その起源は、戦国時代の「狼煙(のろし)」に由来することから、全国的にも最も古い歴史をもつ花火と言われています。
東三河の手筒花火の奉納は、現在の花火大会の原型ともいえる歴史ある神事であるとされます。
氏子たちは豊橋祇園祭の2ヶ月近くも前から手筒花火を一から作りあげるために準備をしています。
8ヶ町内では手筒花火をあげることが「大人への門出」とも言い伝えられているそうですね。
“手筒花火の奉納は、「氏子達が己の身を清め、神殿に忠誠を誓う」信仰的儀式であるとされています。”
【 豊橋祇園祭2日目 *前夜祭* 】
*迫力満点の打ち上げ花火*
実は打ち上げ花火は前夜祭だと知っていましたか?
豊川(とよがわ)の河川敷にて行われる前夜祭の打上げ花火は、花火コンクール、スターマイン、水上の仕掛け花火などからなり、毎年多くの見物客で賑わいます。
豊橋祇園祭では、全国でも珍しい“昼打”と言われる日没前の打上花火を含め、およそ12,000発の花火をご覧になることができます。
桟敷席から観る打上花火は圧巻で、是非一度観ていただきたいですね!
【 豊橋祇園祭3日目 *例祭と神輿渡御* 】
源頼朝公にちなんで頼朝行列と呼ばれている頼朝行列
450年の歴史を刻む神輿渡御
幼少の源頼朝公行列を再現し、豊橋市街を練り歩く神輿渡御は獅子飾鉾 (ししかざりぼこ) を先頭に、太鼓、比礼鉾(ひれほこ)、軍配団扇(ぐんばいうちわ)、伶人(れいじん)、鼻高面 (はなたかめん) 、獅子頭、御幣持(ごへいもち)、花箱(はなばこ)、注連切、神輿など各氏子町内が代々伝わる役割を担い連なります。
行列の華「笹踊り」
笹踊りの様子
笹踊りとは緋色(ひいろ)の衣装に身を包んだ踊り手が3人1組になり、1人は太鼓、2人は小太鼓を打ち鳴らしながら踊ります。
笹踊りの始まりは不明ですが、吉田神社に残る記録の中では、正保2年(1645年)に大太鼓を作ったという記録がもっとも古いとされています。
夕刻とはいえ真夏の炎天下、布団に等しい衣装をまとい舞い踊る氏子たち。
毎年、宵祭の更に前日には、子供たちによるかわいらしい笹踊りも披露されているそうですね!
「饅頭配」
神輿渡御、「頼朝」の様子
笹踊りに続いて登場するのが、馬に乗った「頼朝公」、そして「乳母」と続きます。
「食べると厄払いになる」という言い伝えが残る「饅頭」を沿道の方々に配る氏子たちが行列の最後に続いていきます。
【 吉田神社 *御守・飾絵馬*】
「仕事御守」 「手筒飾絵馬」 「交通安全シール御守」 などが授与所に並んでいました。
「仕事御守」は今年になってできたばかりのものだそうですよ!
「手筒飾絵馬」には、吉田神社にて手筒花火を奉納されている様子が描かれています。
「交通安全シール御守」これから車を購入される方や、既に車をお持ちの方も、豊橋らしいデザインの交通安全シール御守はオススメです。
ご希望の方は是非、吉田神社に足を運んでみてはいかがでしょうか!
【 吉田神社 】
吉田神社について紹介したいと思います。
影向石
影向石は1673年に鳥居を建て直す際に発見された不思議な石とされています。
影向とは、神や仏が仮の姿で人々の眼前に現れることを意味するそうです。
手筒花火発祥の地記念碑
花火文化を愛する氏子の方々をはじめ、東三河の皆様方の協賛により「伝承三河伝統手筒花火発祥之地」記念碑並びに標示塔が平成5年に建てられました。
御朱印
今では御朱印帳を多く持つ方がお見えになりますが、実は吉田神社には御朱印が2つ書いていただけるのをご存知でしたか?
実は「吉田神社」と「金柑丸稲荷社」の御朱印をもらうことができるのです。
金柑丸稲荷社
「金柑丸稲荷社」・・・吉田城二の丸の北側に接し、本丸の東側に沿って吉田川に臨む、細長い地形を金柑丸といい、永年2年(1505年)牧野古白が今橋城を築いた当時の本丸であったといわれています。
本来は二の丸の属すべき地域であるが、何ゆえにここを二の丸と区別してあるのか明らかではない。
ここには金柑丸稲荷という稲荷明神社が勧請せられている。(出典:豊橋市史 第2巻)
吉田神社と同じく、社殿の修復は歴代の吉田城主によって行われており、明治11年、城内の5箇所(二の丸、地方役所、三の丸、倉りん役所、藩校時習館)に祀られていた稲荷社が、金柑丸稲荷社に合祀された後、吉田神社に移されました。
明治42年には同じく吉田神社に移されてきた城守護稲荷社と合祀されました。
歴代の吉田城主は幕府の要職についたことから、出世稲荷として信仰されています。
吉田神社では各種ご祈祷(厄除け、家内安全他)、出向祭典(地鎮祭、竣工祭他)を行っています。
神前結婚式も執り行うことができるそうですよ!
授与所の様子
「水谷さん、今回は前編と後編の2度にわたり取材させていただきありがとうございました。」
「こちらこそありがとうございました。豊橋祇園祭、そして吉田神社を知ってもらうきっかけになればと思います!」
「いよいよ今週、豊橋祇園祭が開催されますね!祇園祭を迎えるにあたって一言いただけますか?」
「毎年、花火には注目が集まりますが、その背景には歴史があってのことだと思います。花火は祭礼の中心であり、市民の皆さまにも親しまれています。それでも花火以外にも笹踊りや頼朝行列などにも興味を持って足を運んでくれたら嬉しいですね!そして、祇園祭だけではなく、自分の地域の氏神さまにも興味を持っていただき、お参りしていただけたらいいですね!」
*最後に*
今回、豊橋祇園祭を前編と後編の2度にわたり様々な角度からご紹介させていただきました。
ついに今週、祇園祭が開催されます。
今まで知らなかったこと、是非、会場に足を運んでいただき、あなただけの祇園祭の魅力を発見してくれると嬉しいです。
【 *豊橋祇園祭奉賛会* 】
豊橋祇園祭奉賛会は、昭和48年(1973年)4月に発足した、祭礼全体を運営する実行組織です。
吉田神社を中心に、氏子八ヶ町有志で結成され、豊橋祇園祭を運営しています。
桟敷グッズや過去の写真コンクールの入賞作品が掲載されていますよ!
豊橋祇園祭奉賛会公式HP
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